カルチャーは変わりつつあっても、私は賀状を出し続けます。

今年届いた年賀状を整理してみました。

毎年決まって元旦に届く人、元旦には間に合わなかったけど三が日には届く人(おそらく私もこの口だと思う)、その後慌てて返事を送った感じの人、いろいろです。

なかなか会う機会がなくなっている場合も多く、賀状が元気でいてくれている橋渡しになっています。
昨年、とてもおめでとうという気分でないのでと遅れて賀状が来た人は今年は来なかったようで、もう世の中に絶望してしまったのでしょうか。

毎年キッチリと来ていた人の賀状が急にこなくなると、気になって嫌な予感も働くものです。
その後に寒中見舞いとしてハガキが届き、体調不良のために出せませんでしたとしたためてあり納得したりもありました。

例年喪中ハガキが5枚ほど届きますが、今回は優にその3倍以上の数です。
ご両親が高齢であるケースが多いのでしょうね。

また、ご本人が年齢を理由に今年を最後に来年以後はご挨拶を失礼させていただきますと書かれているケースもここ数年あります。
今までありがとうございましたの感謝の思いと同時に、一抹の寂しさを感じずにはいられません。

たかが年賀状、されど年賀状です。
私自身は何歳になろうと、賀状は出し続けるスタンスを貫きたいと思います。
国民全体をみても年賀状を出すカルチャーは失われつつあるようですね。
メールで済ませてしまう人も多いことでしょう。

賀状を出すカルチャーの有無でその人を判断することはありません。
ただ、まったく同じ好感度を持つ人が二人いた場合、やはりカルチャーを持つ人により好感を持つと思います。

疎遠になっていた人から近況を伝える賀状が届いたり、たかが正月の慣習ではあるものの仄々としたドラマがあります。



できるなら、来年以降も元気な年賀状が届くことを願って止みません。
それには個々が健康であり、日本が戦争等の間違った国策を陥らず健全でなければなりません。

そして貧困で年を越せない人が少なからずいるようなこの国が、貧負の格差を解消して国民が安心して暮らせる国に生まれ変わることを祈らずにはいられません。

大横川親水公園1-14Ⅱ