今夏は日本映画が久々に好調だった。

シン・ゴジラ

12年分ぶりに登場した「シン・ゴジラ」、シリアスなストーリーとフルCGでのリアルで斬新なゴジラが話題を呼びシリーズ最高傑作の呼び声も高い。
ゴジラの脅威が迫っていても、縦割りの組織での対応に終始し危機管理ができていない日本政府、役に立たない御用学者、緊急事態の発令、米国指揮下の自衛隊、ゴジラのデータすべての独占主張する米国~まさに原発対応さながらに今の日本が抱えている深部を描き出している。

映画の中ではゴジラの猛威を止めるための最後の手段である核攻撃は防げたが、現実の日本では、原発事故を止める手立てはできていない。
それなのに国は再稼働や躍起になっていて、ゴジラ以上に手に負えない存在になっている
そして秘密保護法により隠蔽し風化させようとしているようだ。


映画「シン・ゴジラ」の快進撃を抜き去ったのはアニメの「君の名は」。

君の名は

いみじくも60年前に「ゴジラ」と「君の名は」が同時期に大ヒットしたが、不思議な巡り合わせだ。
同じタイトルながら以前の「君の名は」とはまったく関連性はない。
今回は、奇想天外ながら爽やかないい作品に仕上がっている。
見終わって涙を浮かべた人が多かったと聞く、そういえば「シン・ゴジラ」も観客から拍手が巻き起こっていた。
そんな映画に遭遇したのは初めての経験だと思う。


「シン・ゴジラ」が破壊する都心のビル街、「君の名は」で登場する東京の情景、そんな中で小池劇場のことがふと頭に浮んだ。
厚化粧とか白塗りとかいろいろ言われる中で、豊洲移転にメスを入れたことは評価に値すると思う。
豊洲の危険性は以前から囁かれていた筈だが、小池氏以前の3人の知事はいったい何をしていたのだろうか?

ここからが小池知事の真値が問われることになる。
知事報酬を半分にして臨んでいる今の攻勢が人気取りなのか、気概を持って推し進める改革なのかがやがて見えてくるだろう。
未だに自民党に党籍を残している、日本会議のメンバーである、気になる点は多々あるが、小池劇場が本物ならば歓迎したいと思う。

豊洲問題は延期でなく、中止が望ましい。
五輪も本来ならば中止が望ましいが、やるとしても原点に立ち返ってできるだけシンプルに開催すべきだと思う。
「国威発揚」や利権のためだけであっては絶対ならない。
今や、利権の象徴のような首長になった感のある都知事をリセットして元に戻して欲しいものである。
都民の一人として、今の都政は残念過ぎるからだ。


私は基本的にテレビは見ない、ただ家族と一緒の食事の時などにどうしても眼に入ってしまうことは多い。

気のせいか五輪関係のニュースが多いと感じる。
いや気のせいなんかではなく、明らかに増えているだろう。
リオ五輪が日本選手の頑張りで、思いの外メダルラッシュとなったから致し方ない面はあるとは認識している。

アベノミクスは間違いなく失敗であろう。
でも頑として認めず、「いまはまだ道半ば」「エンジンを最大限にふかせる」等の詭弁を続けている。
当然のようにマスメディアも追求しない。

五輪加熱報道には度を超えた「国威発揚」が込められ、かってナチスが五輪を最大限に軍事利用したことは有名な話である。
現内閣の閣僚が「ドイツのワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気づかなかった。あの手口に学んだらどうかね」と発現し、物議を醸した。
歴史的な独裁国家を築いたナチス政権の手法をマネたり意識したりするのは、どう考えても気持ちいいものではない、というよりやってはならない。

「一億総活躍」「働き方改革」個人の自由に国が強く干渉をする戦前の国家主義の兆候がこのところ顕著になってきている。
オリンピック憲章では「オリンピック区域内では、いかなる種類のデモンストレーションも政治的、宗教的、人種的プロパガンダも禁ずる」と定めているし、競技の趣旨も国家間の競争ではないと定めている筈である。

この精神が保たれない五輪であれば、もはや五輪を今後継続して開催する必要もないであろう。
前述したようにリオでの日本人選手のメダルラッッシュは頑張ったアスリートたち努力の賜であり、在任中の首相の功績ではないのである。
不成績で終わると、叱咤されたり謝罪をさせられたり、まるで兵士のような扱いであるように思えてくる。
これがアマチュアスポーツの祭典であるのだろうか・・・

配偶者控除をなくすことが検討されているようだが、専業主婦は家庭内の子育てを含めて後方支援をしていることの理解が甚だ足りないと思う。
限度を気にせずに働きなさい~過半数が不正規労働者であり、子供を預けることもできない状況でどうするのか。
やがて40歳未満も介護保険料の徴収が検討されるだろう。
生活は苦しくなる一方なのに、防衛費は倍々ゲームであり本題である東京五輪の費用は底なし、そして社会保障はどんどん削られていく。

本来の精神を失った五輪に巨額をかけ、いたずらに国威発揚を煽るのはもう止めてしてはどうだろうか?
海外援助等自体を否定はしない、しかし困っている自国民を差し置いてやることではない。
自国民の生命や暮らしを守るために徴収された税金なのだからだ。