「あの時何をしていたのか」と次世代に言われないためにも・・・

最近思うのだが、先の大戦時に国民の大半が賛同していた訳ではなく、何故止められなかったのかと・・・・
だが、この単純な疑問には明確に答えられる。

国が他国から攻撃を受けている(受ける可能性がある)と国民を煽りナショナリズムと喚起させれば、戦争する口実を作ることは簡単だ。
そして犠牲者が出れば国のために命を捧げた英霊に祭り上げられ、戦争に反対することは死者に対する冒涜であるという空気が充満してもう何を言えなくなってしまう。
それでも異を唱えると非国民のレッテルを貼られ、投獄されたり弾圧を受けたことであろう。

戦後70年を経て戦争体験者は既に亡くなられたり高齢化したりであるが、口々にもう二度とあんなことを繰り返してならないと証言する意味は極めて大きい。
戦争を止められなかったことに対する自己嫌悪、壮絶な戦争体験、高齢を押してデモに参加する方が多いのも頷ける。
このままでは死んでも死にきれない、そんな思いが老体を支えている。

こういう事実を、戦争に向けても既成事実を積み重ねている現政権は真摯に受け止めるべきだとつくづく思う。

国会の承認や国民への説明をしないまま米国議会で戦争法を成立を約束し、法案の違法性を問わずまともな審議すらせずに、米国との約束を果たすために騙し討ちのような採決をしてまで法案を通してしまった。
このような暴力的で傲慢な政権がかってあっただろうか。

戦後の日本政府は大なり小なり米国追従を余儀なくされる面はあっても、政治を以て最後の一線からは踏み出さなかった。
これは保守の良識だったのかも知れない。
ところがアベ政権は、この最後の砦さえをなんの躊躇もなく捨ててしまった。
これは国民に対してのクーデターであり、挑戦である。

我々は今、偽政者による屈辱の中で生きている。
人間の尊厳を傷つけられたならば、当然声を上げて抗議しなければならない。

先人たちは先の戦争を止められなかった、でも壮絶な戦争体験の後に今日まで70年続いている平和を私たちに残してくれた。
今を生きる私たちは先人たちに感謝しながら平和を守り、次世代へ繋げていかなければならない。
そうでなければ、「なんで止められなかった。あなたは何をやっていたのだ!」と次世代から強く糾弾されるだあろう。

彼らは幼小であったり、まだ生を受けていないだから、我々に与えられた責任は大きいのだ。


昨夜帰りがけに見たスカイツリーは、ちょっと変わったライトアップだった。

スカイツリー2-8a
スカイツリー2-8b
スカイツリー2-8c
スカイツリー2-8d
スカイツリー2-8e