あれから5年、心の傷は癒えないままだ。

早いもので、あれから5年が・・・

あの日、私は家で仕事をしていた。
ガツンとただならぬ縦揺れに襲われ、程なく部屋の中の水槽から水は溢れ出し、物は上から次々に落ちてくるという異常な状況に身を置くことになる。

揺れは一向に収まらず、今まで体験したことのない恐怖の中、普段は滅多に観ることがないTVのスイッチを入れてみると~
地震速報が大々的に流れていて、震源地は福島県の沖合だとされている。

私にとって首都直下型地震ではなかったのが不幸中の幸いであったが、距離の離れた東京でこのような激震に見舞われたということは、直近の現地の被害はいくばくかととても気がかりだった。
生きた心地がしない大揺れもしばらくして収まり、今回はなんとか命拾いしたと感じていたのだが、その後しばらく時間を置いてもう再度猛烈な揺れに襲われた時はさすがにもうダメだと観念してしまった。

玄関の戸を開けると、道行く人は悲鳴を上げパニックに陥っていて、電柱は今にに倒れそうに竹のようにしなっている。
自分の人生の中で体験したことがない恐ろしい出来事が、今目の前で起こっていることを受け入れざるを得なかった。

結果として最悪は免れることはできたが、あの船酔いを催すような悪夢の揺れは今でも私のトラウマとなっている。
地震は津波という悪魔に姿を変え、東北の人々に甚大な被害を与えることになる。
TVから流れる津波で家が流される映像に胸が締め付けられ、暗澹たる気持ちになった。
そして悲劇のシナリオはこれで終わらず、原発事故へと繋がり今日に至るまで暗い影を落とし続けている。

死者・不明・関連死2万1865人、避難者は今も17万4471人、あまりにも大きな犠牲を強いられた。

想定外なんて言葉はもう聞きたくない。
未曾有の原発事故の検証や総括も終わらないまま、事故から5年も待たずに川内原発が再稼働をし、その後も次々に原発再稼働の申請がされるこの国はもはや異常としか思えない。

高木復興大臣の父親で当時の全国原子力発電所所在市町村会長だった人の暴言を思い出す。

「原発は金だ!放射能汚染で生まれる子供たちが50年後に障害者でもかまわない!」

この信じ難い考え方が、原発維持の根底にあるのだとしたら尋常ではない。

ユリカモメの飛翔