五輪開催予定日まで1ヶ月を切りましたが、未だに開催するかどうか不透明でありこれほど迷走し続けるスポーツイベントを私は知りません。

スガ首相は国民の命と健康を守る、安心安全と呪文のように唱えるけどエビデンスはまった示されていない。

分科会の尾身会長がコロナ感染拡大の警鐘を鳴らしても、閣僚たちが「自主的な研究の成果」とか「全く別の地平から見て来た言葉」という残念な発言が返ってくるだけ。

宮内庁長官が天皇がやはり感染拡大を懸念していると記者会見しても、それは宮内庁長官の個人的な県会として取り合おうとしない。

天皇が政治に口を挟むことは問題があるかも知れない、だが五輪の名誉総裁であられる天皇がコロナ感染の拡大を懸念することはなんら間違っていないと思う。


主催者の都知事は過労で入院してしまった。

メディアは開催の是非よりも観客数の有無に論点をすり替える印象操作をしているように感じてしまう。

ウガンタの選手が来日してその内2人陽性反応が出て、移動に関して濃厚接触者を含め対応は万全だったのだろうか?

ウガンダの選手たちは来日前にワクチンの接種を受けていたとされるが、その因果関係も気になるところ。

私は陰謀論を展開することは好きではないが、ワクチン接種後に356人が亡くなっていることは衝撃を受けています。

副作用が体調が悪くなった人も相当数に上ることと思います。

ワクチン接種後に感染率が下がっていることは実証されているようだが、受ける人の体質や体調を十分考慮する必要があり、接種は強制でなくあくまで本人の意思に基づくことが前提だと感じます。


リバウトなのか第5波なのか感染者数が増加傾向にあり、まん延防止等重点措置が切れる7/11にはどのような判断をするのだろうか?

その時期に感染者が急増した場合、無観客で開催という選択肢をとらず、国民の命と健康を守るという信念があるのなら中止にすることが最善の選択だと思います。

外国人観客をゼロにしても選手、関係者、マスコミ、IOC貴族らが大挙して来日するのだから、当然に陽性者が多分に混ざり、しかも期間中外出等を自粛するとは到底思えない。

そしてコロナに猛暑が加算される。

もう医療体制も崩壊状態は明らかで、悪いことは言わないから冷静な判断に基づき中止にするべきだと思います。


旧中川河川敷6-21




昨日の国会で五輪の開催判断基準を質問された菅首相は「世界から選手が安心して参加できるようにするとともに、国民の命と健康を守っていく。これが開催の全体条件」と回答。
これは常日頃菅氏が安心安全と呪文のように繰り返していることと同じで、質問に対する明確な答えになっていない。
国民の8割が中止を望んでいるのだから、どうしてもやりたいのなら納得できる明確な基準を示すべきなのは当然と思う。

ワシントンポスト紙の「ぼったくり男爵」で、今年の流行語大賞決定の声が高い。
IOCのバッハ氏、コーツ氏らの発言はあまりにも日本国民の気持ちを踏みにじり、それになんら抗議も反論もしない日本政府に疑問を持つ国民も多いだろう。
ある時点から五輪は平和なスポーツの祭典ではなく、政治的利用や利権のためにへと変貌していってしまった。
1964年に開催された東京五輪は戦後の復興を含め開催される意義は感じられたが、今回の東京五輪は大義がまったく見当たらない。
当初復興五輪、コンパクトな五輪とのフレーズであったが、復興は未だに進ます汚染水はアンダーコントロールされているとはとても思えず、費用も史上空前のレベルになっている。
その後コロナに人類が打ち勝った証というのがその後のフレーズになったが、何処のどの国がコロナに打ち勝ったのか?
懸命な隔離対策やPCR検査の積極的な受診、ワクチンの接種等で収束に向かいつつある国があるくらいが実情。
そしてスポーツを通じて世界に希望と勇気を与えるイベントにというフレーズまで飛び出したが、その考えは共感するとしてもそれは平常時ならいざ知らず、コロナ禍に無理に行うものでは断じてない。

五輪が政治利用や利権のために行われようとしていることが国民の目からも透けて見え、8割の超える国民が中止をと声を上げている。
決定権はIOCにあるとか、経済的損失がとか言っている場合ではない。
安心安産な開催が難しいから中止にしたいと言わない(言えない)方がおかしい。
開催しても中止にしても損失は出るだろうが、無理に開催してコロナピックになってしまう損失は測り知らず、世界的なパンデミックを起こす責任は極めて大きく取り返しがつかない。

開催前2か月を切ってもこの状態であることが極めて異常だと思う。
コロナ対策に失敗し、ワクチン接種率が先進国中最低である日本は開催国とはなり得ない。

首相も都知事も組織委も五輪大臣も、即刻中止のカードを切るべき。
時間はあまりない。