昨日の国会で五輪の開催判断基準を質問された菅首相は「世界から選手が安心して参加できるようにするとともに、国民の命と健康を守っていく。これが開催の全体条件」と回答。
これは常日頃菅氏が安心安全と呪文のように繰り返していることと同じで、質問に対する明確な答えになっていない。
国民の8割が中止を望んでいるのだから、どうしてもやりたいのなら納得できる明確な基準を示すべきなのは当然と思う。

ワシントンポスト紙の「ぼったくり男爵」で、今年の流行語大賞決定の声が高い。
IOCのバッハ氏、コーツ氏らの発言はあまりにも日本国民の気持ちを踏みにじり、それになんら抗議も反論もしない日本政府に疑問を持つ国民も多いだろう。
ある時点から五輪は平和なスポーツの祭典ではなく、政治的利用や利権のためにへと変貌していってしまった。
1964年に開催された東京五輪は戦後の復興を含め開催される意義は感じられたが、今回の東京五輪は大義がまったく見当たらない。
当初復興五輪、コンパクトな五輪とのフレーズであったが、復興は未だに進ます汚染水はアンダーコントロールされているとはとても思えず、費用も史上空前のレベルになっている。
その後コロナに人類が打ち勝った証というのがその後のフレーズになったが、何処のどの国がコロナに打ち勝ったのか?
懸命な隔離対策やPCR検査の積極的な受診、ワクチンの接種等で収束に向かいつつある国があるくらいが実情。
そしてスポーツを通じて世界に希望と勇気を与えるイベントにというフレーズまで飛び出したが、その考えは共感するとしてもそれは平常時ならいざ知らず、コロナ禍に無理に行うものでは断じてない。

五輪が政治利用や利権のために行われようとしていることが国民の目からも透けて見え、8割の超える国民が中止をと声を上げている。
決定権はIOCにあるとか、経済的損失がとか言っている場合ではない。
安心安産な開催が難しいから中止にしたいと言わない(言えない)方がおかしい。
開催しても中止にしても損失は出るだろうが、無理に開催してコロナピックになってしまう損失は測り知らず、世界的なパンデミックを起こす責任は極めて大きく取り返しがつかない。

開催前2か月を切ってもこの状態であることが極めて異常だと思う。
コロナ対策に失敗し、ワクチン接種率が先進国中最低である日本は開催国とはなり得ない。

首相も都知事も組織委も五輪大臣も、即刻中止のカードを切るべき。
時間はあまりない。