日本放送協会(NHK)の現会長の言動がいろいろ波紋を呼んでいます。

そこて、ちょっと整理してみますと、

国営放送とは、税金が投入され国の管理下に置かれ、国家に批判的な放送は行わずある方向に先導しようとする内容が含まれます。

公共放送は視聴料金を徴収して、それを運営資金に充てるが、通常放送中でも災害や緊急放送が優先されことを前提とします。

そして国営、公共両方とも、人口過疎地にも同様な設置しなければならないとされています。

一方民営の方は、コマーシャル料金等をスポンサーから集め受信者からは受信料を徴収しません。
放送内容は自局の意向で決定し、ケーブルやネット等のサービスはこの限りではありません。


昨今、マスメディアの劣化が囁かれますが、公共放送であるNHK、そして民報も含め報道の過度な自粛がそう思わせているように感じます。

万人がネット環境を持っている訳ではありません。
新聞やTVを情報収集に依存している人は多いですから、それではダメですね。

放送法および日本放送協会定款の最上位に位置するのは経営委員会と監査委員会でその次が会長となっています。
会長は経営委員会の議決で選任されます。
であるならば、経営委員会のメンバーは偏りのない人選でなければなりません。
もしそうでないとしたら、公共放送の看板を掲げることは難しいでしょう。

今のNHKが受信料を徴収して公共放送を名乗るに相応しいかどうかは、議論に値するかも知れませんね。

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我が家の玄関前の猫の額程度の花壇に、今年も山茶花が咲き始めました。

サザンカ

植物オンチなので山茶花かどうか分かりませんが、当初はバラだと思っていましたら椿だと教えてくださった人がいて、その後山茶花では?となりましたが私には今もって謎のままです。

今は亡き母が花が好きで丹精をこめて世話をしていましたので、花壇はそのままにしていますが毎年この時期になると花を咲かせてくれます。

両親とも下町に生まれ育ちそして土に還って行きましたが、利便な半蔵門線が開通し、スカイツリーが建設され、ソラマチができたと知ったらきっと喜んだと思います。
スカイツリーを見せてあげたかったと心から思います。

スカイツリー12-19

反面、東日本大震災を起こったこと、その影響で近隣に放射能スポットが出来てしまったことを嘆いただろうと感じます。

また一躍観光地になったスカイツリーやソラマチがのテロの標的になりうることをとても心配してくれていると思います。

昨日2/18はネットでテロが起きる可能性が囁かれていました。
2/22は東京マラソンがあります。

飛行機、新幹線、地下鉄、繁華街、ビル街、原発・・・・・

あらゆる場所がテロに巻き込まれる国になってしまいました。


国民は平和を願っているのに、外敵から侵略や攻撃を受けているような状況ではなかったのに、世界に誇れる平和憲法があるのに・・・・・

日本は間違った方向に無理やり誘導されています。

正月の三が日に出会った、大勢の人で賑わう初詣、凧揚げに興じる子供たち、渡し舟を楽しむ人々・・・そんないつもと変わらない正月の風景を目にして、これが来年以降も続くのだろうかと何故か刹那的に強く感じたのを思い出します。

正月風景

何故なら、急速に戦争に持ち込もうとする悪意がこの国を覆っているからです。

消費税を上げても、社会福祉は軒並み切り捨て、軍事費は際限なく高騰していく・・・・


どなたかがピストルを持てば撃ちたくなると語っていましたがそのとおり~

自衛隊という呼称以上の軍備を既に備えていて、使いたくなるのです。



僅か70年前に二度も原爆を落とされ、300万人を超す犠牲者を出して地獄を見たのを忘れたのでしょうか?

平和憲法の基に戦後一度も戦争に巻き込まれずに来たことは世界に誇れることです。

個別的自衛権だけで十分なのに、どうして勝手に解釈を変えて集団的自衛権行使にのめり込み他国の戦争に積極的に踏み込もうとするですか?



悲惨な原爆体験をし、人類が経験したことがない未曾有な規模の原発事故を起こし、国の存続が危ぶまれ状況が続いているのに、何故狂気の原発再稼働なのですか!

日本は世界に向けて核廃絶を提唱すべき国なのです。



何故、中東の紛争に無理やり介入しようとするのですか?

どうして国民の生命を脅かしてまで好んで戦争の火種を拾いに出かけて行くのですか?



原発は止まらず、TPPで日本の資産やカルチャーはことごと略奪され、某国の代理として戦争の最前線に送り込まれ、本土はテロの標的となり、原発もろとも戦火で焼き尽くされてしまう・・・・

これは妄想などではなく、リアルな日本の近未来なのです。



和を重んじ意味のない強調性や大人ぶった態度、排他的な思考回路で現実逃避・・・・こんな負の国民性を引きずっていては国が滅亡してしまいます。

国民総夢遊病にかかっている状態では、日本の未来は限りなく絶望的的です。

次世代の人たちに、「ごめんね」じゃ済みませんよ!





最近の私の精神安定剤と一つは


美月と華名

天青と水玉

金魚の飼育です。

眺めているだけで、束の間の癒しを感じます。


紋次郎1-5

雪乃丞1-4

小雪1-5

若菜1-18

稚魚セット2-13

鹿の子日本オランダという品種が最近のお気に入りですが、昨年末に思いがけず稚魚が誕生しました。

初めは針子といわれる針のように細かった稚魚が、一月半程経過した現在は2センチくらいに成長し、スポイトでミジンゴを落としてやるのが日課ですが、最近は下で待ち構えていて可愛いです。





水槽の中は平和そのものですが、日本の平和は強引にそれを壊そうとする流れが加速しています。

先人達が尊い命をかけて守ってくれた現在の日本の平和を、悪しき人々によって絶対に奪われてはなりません。

数日前、某ストアにある書店で立ち読みをしていましたら、店員が露骨に羽根たたきを始めましたので、本を置きその場所を離れました。
隣にいた人も同様でしたが、私の場合僅か数分のことでしたので、幾らなんでもちょっとなあ~という印象です。

また、ドラッグストアーで物を尋ねてもロクに返事もしない販売員(店長らしい)
がいて、接客がなっていないと感じます。
必然的にそういう店には行かなくなりますね。


先般、時々利用しているDVDレンタル店からTELが入り、私が返却した際に私物のDVDが混入されていたとのことで親切に連絡してくれたらしく、首を傾げながら受け取り再生したところ全然身に覚えのないホームDVDと分かりました。

店に持参しで誰かの分と間違えたのではと返還しましたところ。ご迷惑をおかけしたと無料券をくれた上に、後日新作のDVDレンタルをレンタルする際にもお詫びにサービスさせたいただきますと無料でレンタルできました。

こういう心遣いは嬉しいものです。
スカイツリー、ソラマチの影響で地元の商店街は閑古鳥が鳴き、シャッターが閉まったままの店舗が増えていますが、頑張って欲しいものです。


下町にこれ以上大掛かりなショッピングモールもマンションは要りません。
外観を損ね、無味乾燥な高層建物はもう結構という気持でいます。

人情味溢れた地元の商店にエールを送りたいです。


スカイツリー2-9

人質事件は最悪の結果となりました。

何故このような事件が誘発され、そしてどうしてあのような悲惨な結末を迎えたのか私たちひとり一人が検証する必要があると思います。


「許し難い暴挙、テロリストたちを絶対に許さない。その罪を償わせる」

「憎悪の連鎖を止めないといけない、報復していたら平和の動きが吹っ飛んでしまう」

人質の方が殺害されたとの報に受け、日本のトップと被害者の家族の方が発した言葉・・・・
何故か、ニュース等ではこのフレーズがカットされたらしいですね。
いったい日本はどうなっているのでしょうか・・・・


報復を念頭にテロとの全面戦争に乗り出さんかのようなコメントと

悲しみを押し堪えて、泥沼の戦争行為を回避して欲しいと願う言葉


どちらが犠牲になったとされる人の思いを代弁しているのでしょうか。

どちらが国民の心に重く響くのでしょうか?


周囲をすべて原発で囲まれている国である日本は絶対に戦争をしてはいけない国なのです。
原爆を二度も落とされ、史上最悪の原発事故を起こした日本は、世界の先頭に立って核廃絶を呼び掛け平和を推進しなくてはならないと思います。

戦争屋に誘導されて、いつか来た道を知らず知らずのうちに歩んでは絶対になりません。

ネットで検索しますと節分とは、雑節の一つで各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことで、「季節を分ける」ことも意味しているそうです。

特に立春(毎年2月4日頃)の前日を指すことが多く、2月3日が節分の日になったのでしょう。

節分には昔から豆撒きが付き物で、「福は内、鬼は外」と声を出して福豆(炒り大豆)を撒いて、年齢の数だけ(もしくは1つ多く)豆を食べて厄除けを行います。

私も子供の頃、両親に言われて家の中や、外に向かって豆を撒いたものです。
会社帰りの人は、運が悪いと豆の直撃を受けてしまうこともありました。

あんまり派手に撒いてしまうと後で家の中の豆を回収するのが大変で、掃除に時間がかかります。

幼少の頃は普段はあまり遊んでくれたことがない父が鬼の面が被って、私の豆攻撃を食らって、降参!降参!と逃げ回ったような記憶があります。


節分(鬼は外)


ともあれ、節分は日本の風物詩の一つですね。


これから豆を撒くご家庭を多いと思いますが・・・・

今年の節分は国民感情からすると「福は内!ア○は外!!」という掛け声が多く聞かれそうな気がします。


節分(鬼は外)

昨日、自転車に乗り踏切の前で開くのを待っていますと、向こう側から遮断機が閉まるのを掻い潜って侵入したキャリーカーを引いた年配の女性が踏切内を横断しようとする光景に出会いました。

渡り終えて閉まっている遮断機を上げようとしても力が足りないのか、踏切内で立ち往生しています。
間一髪でもありませんが、このままでは危ないので遮断機を上げてこちら側に引き入れました。
片手にキャリカーを引いていたこともあり、この方の腕力では遮断機を持ち上げることは難しかったかも知れません。

実は少し前も同じようなことがあり、この時は自転車を引いたやはり年配の女性でやはり同じように遮断機を上げられず危険でしたので手伝って救出しましたが、何でこんなことをする人が多いのでしょうかね。

信号や踏切でちょっとの時間待たされるのがそんなに耐えられないのでしょうか。

歩きスマホ、自転車に乗りながらの携帯も同様です。
ほんの少し立ち止まって用を済ませればいいだけのことですけどね。


そんなことすらも我慢ができない、堪え性のない人が目に付きます。

世相が悪いのでしょうかね。
もっと心にゆとりを持って、他人を慮るような気持にみんながなるといいと感じる今日この頃です。

美月、華名1-30