平成最後の夏は異形の夏であった。

経験したことがないような過酷な暑さが日本列島を襲った7月、8月も過ぎ9月を迎えた。
暦の上では秋なのだが、当分の間はそんな気分には浸れないだろう。

平成最後の夏とささやかれるが、西日本集中豪雨も記憶に新しいしその後途切れることがなく発生する大型台風による被害・・・いや、その前には東日本大震災が起こり、史上最悪の原発事故に遭い、まだ復興半ばなのだ。
それなのに、そんなことはなかったかのように五輪、五輪と国を挙げて騒ぎ立てるのは如何なものかと思ってしまう。
新しい年号に変えることにより、嫌なことは忘れてしまおう(忘れさせてしまおう)~そんな訳には絶対にならないし、してはいけない。

第一何故いつまでも年号に拘るのかも疑問。
西暦で統一でいいではないかと思う、その方が年齢も数えやすいし余程スッキリする。
五輪はスポーツの祭典だが、スポーツ界から次々に問題が噴き出していて、まさに政界と表裏一体の感がし、もう五輪開催以前の問題のように感じてしまう。

もうヒートアイランド現象で熱帯と化している東京で、夏季にスポーツイベントをやるのは無理がある。
その対策として高校生まで動員することもで考えているようで、これじゃ学徒動員じゃないか。
そして銀メダルの銀が足りないので、国民から提供を呼びかけるに至っては戦時中を彷彿させる。
サマータイムの導入、夏季休暇を五輪に期間に合わせることを奨励って、おかし過ぎやしないだろうか。
共謀罪なくして五輪はできない、まったく本末転倒である。
そこまでして五輪を何が何でも開催する意義はまったくないと思う。
五輪の強行、カジノ法案成立、改憲?日本は何処に向かうのだろうか…



暑さの中、何回か都内23区の緑地を歩いてみた。

カナブン
樹液にはカナブンが群がる光景が。

カブトムシ
カブトムシがツノを付き合わせて樹液で争っていた。


その10日程後に行って見ると・・・

コカマキリ
暑さのためか樹液は枯渇して何も見当たらず、コカマキリが歩く姿が。

アブラゼミ
セミの姿も夏の終わりを感じさせ、哀愁を誘う。


そう言えば、某公園に「食用のためにセミを穫らないでください」という立て看板が立ったという。
いくら何でもそんなことがあるのかと思ったが、事実大量にセミを穫っている人がいるらしく、平成最後の夏はなんともいつもと違って異形であったとしか感じられてならない。



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