東京都に4回目の緊急事態が発令され、昨年暮れから同発令かまん延防止等重点措置のいずれかが発令されるという異常事態が延々と続いています。

尾身会長ではないが、こんな状況の中五輪はやらないというのが常識的判断だが実際には真逆で、爆発的な感染のリスクを強く負いながら五輪まであと10日という状況になってしまっている。


そんな折、西村大臣の問題発言は大炎上し、飲食業の人たちは衆院選では「自公以外に投票」と憤りトレンド入りしています。

コロナの感染源として飲食店が占める割合は微々たるもので、度重なる時短営業や酒類の提供規制等で飲食店はもう崖っぷちに立たされていて、西村大臣の酒類の提供停止に応じない飲食店に対し、取引金融機関から順守を働きかけてもらうはあまりにも強権的な心無い発言だと言わざるを得ません。


じゃあなんで感染リスクは問題にならない高い五輪を国民の反対を押し切ってやるのかという反論が当然巻き起こることは当然のこと。

平和のスポーツの祭典である五輪をやることは別に構わないかも知れない。

でも当初の復興五輪には程遠く、コンパクトな五輪はどっかに行ってしまった。

まして100年に1度の国難とされるコロナ禍でやるべきでは絶対ない。


菅首相が五輪とコロナ対策の切り札にしていたワクチンは早々と接種がブレーキがかかってしまって五輪には間に合わなかった。

無観客になったからって選手、関係者、マスコミ、スポンサーを含めるととてつもない人数の外国人を押し寄せ、コロナ感染拡大は到底防げないだろうと感じます。

安心安全、国民の命を声明を守ると繰り返し語るならば、中止する以外に選択肢はなかった筈です。

開会へのカウントダウンが始まったとはいえ、心があるのなら中止にする英断ができないのだろうか。  


百花園入り口7-3 (2)




五輪開催予定日まで1ヶ月を切りましたが、未だに開催するかどうか不透明でありこれほど迷走し続けるスポーツイベントを私は知りません。

スガ首相は国民の命と健康を守る、安心安全と呪文のように唱えるけどエビデンスはまった示されていない。

分科会の尾身会長がコロナ感染拡大の警鐘を鳴らしても、閣僚たちが「自主的な研究の成果」とか「全く別の地平から見て来た言葉」という残念な発言が返ってくるだけ。

宮内庁長官が天皇がやはり感染拡大を懸念していると記者会見しても、それは宮内庁長官の個人的な県会として取り合おうとしない。

天皇が政治に口を挟むことは問題があるかも知れない、だが五輪の名誉総裁であられる天皇がコロナ感染の拡大を懸念することはなんら間違っていないと思う。


主催者の都知事は過労で入院してしまった。

メディアは開催の是非よりも観客数の有無に論点をすり替える印象操作をしているように感じてしまう。

ウガンタの選手が来日してその内2人陽性反応が出て、移動に関して濃厚接触者を含め対応は万全だったのだろうか?

ウガンダの選手たちは来日前にワクチンの接種を受けていたとされるが、その因果関係も気になるところ。

私は陰謀論を展開することは好きではないが、ワクチン接種後に356人が亡くなっていることは衝撃を受けています。

副作用が体調が悪くなった人も相当数に上ることと思います。

ワクチン接種後に感染率が下がっていることは実証されているようだが、受ける人の体質や体調を十分考慮する必要があり、接種は強制でなくあくまで本人の意思に基づくことが前提だと感じます。


リバウトなのか第5波なのか感染者数が増加傾向にあり、まん延防止等重点措置が切れる7/11にはどのような判断をするのだろうか?

その時期に感染者が急増した場合、無観客で開催という選択肢をとらず、国民の命と健康を守るという信念があるのなら中止にすることが最善の選択だと思います。

外国人観客をゼロにしても選手、関係者、マスコミ、IOC貴族らが大挙して来日するのだから、当然に陽性者が多分に混ざり、しかも期間中外出等を自粛するとは到底思えない。

そしてコロナに猛暑が加算される。

もう医療体制も崩壊状態は明らかで、悪いことは言わないから冷静な判断に基づき中止にするべきだと思います。


旧中川河川敷6-21


昨日の国会で五輪の開催判断基準を質問された菅首相は「世界から選手が安心して参加できるようにするとともに、国民の命と健康を守っていく。これが開催の全体条件」と回答。
これは常日頃菅氏が安心安全と呪文のように繰り返していることと同じで、質問に対する明確な答えになっていない。
国民の8割が中止を望んでいるのだから、どうしてもやりたいのなら納得できる明確な基準を示すべきなのは当然と思う。

ワシントンポスト紙の「ぼったくり男爵」で、今年の流行語大賞決定の声が高い。
IOCのバッハ氏、コーツ氏らの発言はあまりにも日本国民の気持ちを踏みにじり、それになんら抗議も反論もしない日本政府に疑問を持つ国民も多いだろう。
ある時点から五輪は平和なスポーツの祭典ではなく、政治的利用や利権のためにへと変貌していってしまった。
1964年に開催された東京五輪は戦後の復興を含め開催される意義は感じられたが、今回の東京五輪は大義がまったく見当たらない。
当初復興五輪、コンパクトな五輪とのフレーズであったが、復興は未だに進ます汚染水はアンダーコントロールされているとはとても思えず、費用も史上空前のレベルになっている。
その後コロナに人類が打ち勝った証というのがその後のフレーズになったが、何処のどの国がコロナに打ち勝ったのか?
懸命な隔離対策やPCR検査の積極的な受診、ワクチンの接種等で収束に向かいつつある国があるくらいが実情。
そしてスポーツを通じて世界に希望と勇気を与えるイベントにというフレーズまで飛び出したが、その考えは共感するとしてもそれは平常時ならいざ知らず、コロナ禍に無理に行うものでは断じてない。

五輪が政治利用や利権のために行われようとしていることが国民の目からも透けて見え、8割の超える国民が中止をと声を上げている。
決定権はIOCにあるとか、経済的損失がとか言っている場合ではない。
安心安産な開催が難しいから中止にしたいと言わない(言えない)方がおかしい。
開催しても中止にしても損失は出るだろうが、無理に開催してコロナピックになってしまう損失は測り知らず、世界的なパンデミックを起こす責任は極めて大きく取り返しがつかない。

開催前2か月を切ってもこの状態であることが極めて異常だと思う。
コロナ対策に失敗し、ワクチン接種率が先進国中最低である日本は開催国とはなり得ない。

首相も都知事も組織委も五輪大臣も、即刻中止のカードを切るべき。
時間はあまりない。

大分長い間ブログの更新が滞ってしまっていますが、その間にコロナ禍という思いもよらぬ事態が起こり今もその脅威は続いたまま。

コロナは風邪だと言う人が少なからずいますが、世界的な流行そして第2波、第3波、第4波と未だに収束の気配が窺えず、変異株が発症したりで長期的な戦いになりそうです。
日本は諸外国に比べ感染者や死者が少ないとされていても、これから次第に拡大して可能性が懸念されます。

日本でも既に2度緊急事宣言が発令されていますが、解除後状況は改善せずむしろ悪化傾向にあります。
昨日は東京で667人、大阪は1209人、兵庫県は510人と、大阪や兵庫は最悪を更新していて、3度目緊急事態発令は必至の状況ながら、まん延防止措置が適用されるに留まっています。
緊急事態宣言とまん延防止措置の違いは微妙で、聖火リレーや訪米中の菅首相の訪米による日米首脳会談に水を差したくないとの思いがあるのでしょう。

二階幹事長の突然の五輪中止発言が波紋を呼び、その真意は分からないもののある意味国民の思いを代弁している面もあります。
今回の東京五輪は招致の段階でクリーンな印象に程遠く、さらに実施予定だった昨夏は世界中がコロナ大流行で、1年延期されたがその段階で中止にすべきだったと考えます。
2年延期だったらという選択肢もあったのでしょうが、4年に1度のインターバルをとる五輪では難しかったと思われ、仮に認められも来年にコロナが収束している可能性は微妙と思います。
かって大流行したスペイン風邪も収束には足かけ4年がかかったようですから猶更でしょう。

1964年に開催された東京五輪は、敗戦後の日本にとって意義のある大会だと感じるものの、今回の東京五輪は復興五輪とはとても呼べず、人類がコロナに打ち勝った証にはほど遠く、世界に勇気を与えるイベントとは到底思えない。
既に外国人観光客は諦め、無観客になる可能性も高い。
そして200ヵ国1万1千人とされる選手たちを招いて安全を確保しつつ、世界で最も高度で複雑なスポーツイベントを成功させるのは至難の業だと思う。

一説では100億も経費がかかるという聖火リレーは取りやめ、五輪開催も断念するのが開催国としての責務だと思います。
平和なスポーツの祭典だった五輪も昨今はあまりにも政治色が強く、利権や政治利用に使わるために開催されてはならない。
国民の8割が開催の中止を求めているのも、それを感じていることに他ならない。


ふれあい橋X

昨日図書館に行った際に、週刊誌を数冊読んでみたのだけれど、今日辞職願を提出した自民党を離党した議員、こりゃ酷いなと感じてしまった。
離党する時に「政治家の出処進退は自らが決める」と党からは除名等の処分はされなかったようだが、被害女性から告訴されるに至って議員退職に追い込まれた。
政権与党としてもっと毅然とした対応ができなかったのだろうか。

もう一つ、記事で気になったのは、いろいろ物議を醸している安倍首相のノーベル平和賞にトランプ大統領を推薦したことに関する動機。
まさかトランプ氏が喋ってしまうとは思わなかったのだろうが、国内外から多々批判が出ることは仕方ない。
まあ、米国のポチだからという辛辣な意見が多い中、北との和平に関し韓国の文大統領がノーベル平和賞の有力候補になっていて、これだけはどうしても阻止したい一心からだと・・・

真偽の程は分からないが、情けないと感じる人は多いだろう。
東京新聞の望月記者に対する官房長官のスタンスも批判されて然るべきだと思う。
国民が知りたいことを代弁している記者の質問を何故拒絶するのか。
何度聞かれたとしても分かりやすく明確に答えることが、職務なのではないのだろうか。
急速に当たり前のことが、当たり前でなくなっている昨今に、危うさを感じるのは私だけではないと感じる。

旧中川の河津桜

地元のホームセンターに隣接する河川敷には河津桜が咲いていた。
春近しを感じるが、政治の世界は厳冬であり、いや氷河期に突入したかも知れない。

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